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2004.07.24

おとり捜査は必要か?

 大麻樹脂を販売目的で所持したとして大麻取締法違反の罪に問われていたイラン人被告に対して、最高裁第一小法廷(泉徳治裁判長)は、7月12日、上告を棄却する決定をした。最高裁が、おとり捜査を適法と明言したのは初めてであることから新聞等でも取り上げられた(朝日新聞の記事)。

 最高裁決定は、「捜査機関又はその依頼を受けた捜査協力者が,その身分や意図を相手方に秘して犯罪を実行するように働き掛け,相手方がこれに応じて犯罪の実行に出たところで現行犯逮捕等により検挙する」捜査手法をおとり捜査と定義した上で、「少なくとも,直接の被害者がいない薬物犯罪等の捜査において,通常の捜査方法のみでは当該犯罪の摘発が困難である場合に,機会があれば犯罪を行う意思があると疑われる者を対象におとり捜査を行うことは,刑訴法197条1項に基づく任意捜査として許容されるものと解すべきである」との初判断を示した(最高裁決定)。
 これは、いわゆる「機会提供型」のおとり捜査について適法であることを認めた判例と言える。

 かつて、最高裁判所は、昭和28年3月5日決定(刑集7巻3号482頁)において、「他人の誘惑により犯意を生じ又はこれを強化された者が犯罪を実行した場合に、わが刑事法上その誘惑者が場合によつては麻薬取締法五三条のごとき規定の有無にかかわらず教唆犯又は従犯として責を負うことのあるのは格別、その他人である誘惑者が一私人でなく、捜査機関であるとの一事を以てその犯罪実行者の犯罪構成要件該当性又は責任性若しくは違法性を阻却し又は公訴提起の手続規定に違反し若しくは公訴権を消滅せしめるものとすることのできないこと多言を要しない」と判断していたが、おとり捜査自体については触れるところがなかった。
 そのため、学説においては、おとり捜査については様々な見解が出されていた(山上圭子「おとり捜査」平野龍一・松尾浩也編『新実例刑事訴訟法[I]捜査』5頁以下が要領よくまとめている)

 ところで、今回出された最高裁決定は、「麻薬取締官において,捜査協力者からの情報によっても,被告人の住居や大麻樹脂の隠匿場所等を把握することができず,他の捜査手法によって証拠を収集し,被告人を検挙することが困難な状況にあり,一方,被告人は既に大麻樹脂の有償譲渡を企図して買手を求めていたのであるから,麻薬取締官が,取引の場所を準備し,被告人に対し大麻樹脂2㎏を買い受ける意向を示し,被告人が取引の場に大麻樹脂を持参するよう仕向けたとしても,おとり捜査として適法というべきである」との判断を示している。

 一般的には、この決定が、(1)直接の被害者がいない薬物犯罪などの捜査(2)通常の捜査方法だけでは摘発が困難(3)犯罪を行う意思があると疑われる者が対象という3つの要件を示したものと受け取られているようである(産経新聞の記事)。

 しかし、最高裁決定をよく読むと、これをおとり捜査が適法になるための要件であるとして論じている訳ではなく、今回のおとり捜査の内容を法的な観点から整理したものに過ぎない。もちろん、その背後には、最高裁が考えているおとり捜査の要件があることは確かであるが、今回の決定だけで、おとり捜査の要件が明示されたと解釈するのは行き過ぎである。

 今回、最高裁決定は、おとり捜査を「任意捜査」であると明確に位置づけている。つまり、裁判官による事前の審査を受ける必要がないと判断した訳である。確かに、従来の学説も一般的にはそのように解されていたようである(実はあまり意識的には論じられていなかったのかもしれない)。

 しかしながら、そうなると、おとり捜査については、捜査機関が必要だと考えれば、裁判所の事前チェックを受けることなく実施することができ、被疑者・被告人は、刑事裁判になった後に初めてこれを争うことができるということになる。
 そうすると、捜査機関のおとり捜査の行き過ぎを抑制することはできないことになる。

 これに対して、アメリカやイギリスでは、おとり捜査については、警察の内部規範ではあるが、詳細なガイドラインがあると言われている。

 我が国では、とかく捜査機関が暴走しがちであることを考えると、仮に、おとり捜査を認めるとしてもその要件を明確に法律で定める必要があるのではないだろうか。

 確かに、最近の刑事立法の状況を見ると、法律ちゃんねるさんが「立法機関が信頼に値するか多いに疑問です。盗聴法の改正論議も疑問です。その意味で、むしろ曖昧な最高裁の運用でいいのかな・・と思った」と心配されるのもよく理解できるところではある(法律ちゃんねる「おとり捜査と最高裁」)。
 しかし、捜査機関だけに判断を委ねることは、それ以上に危険ではないかと思われるのである。

 さらに、そもそも、我が国で、おとり捜査を認める必要があるのかという問題がある。
 おとりを用いて相手を誘い寄せ、犯罪行為に陥れるのであるから、公正さに欠ける捜査手法であることは否定できない(松尾浩也『刑事訴訟法・上巻〔新版〕』128頁)
 ただ、薬物事犯については、例外的におとり捜査を行う必要はあるとも考えられている。そうであれば、せめて、その要件は法律で規定して、厳格かつ慎重に行うべきであるのではないか。

 ところで、これまでもおとり捜査の事例はあったが、最高裁判所はどうして、今回、おとり捜査が適法であるとの判断を示したのであろうか。

 犯罪対策閣僚会議が昨年12月18日に発表した「犯罪に強い社会の実現のための行動計画」の中に、「組織犯罪に対する有効な捜査手法等の活用・検討」として、「効率的かつ効果的な組織犯罪情報の収集や、組織の中枢に至る摘発の徹底を図るため、組織犯罪に対し、あらゆる捜査手法等を積極的に活用するとともに、通信傍受、おとり捜査、コントロールド・デリバリー、潜入捜査等の高度な捜査技術・捜査手法、犯罪収益規制の拡大を具体的に研究し、その導入・活用に向けた制度や捜査運営の在り方を検討する。 」と述べ、おとり捜査を積極的に活用することをうたっていた。
 最高裁決定が、今回、あえて正面からおとり捜査を適法である場合があることを示したのは、このような動きに呼応しているように思われる。そして、その結果、今後、おとり捜査はもっとおおっぴらに行われるようになることが予想される。
 しかしながら、このようなことが最高裁決定1つで変わってよいのだろうか。少なくとも、法律の制定という形で、まがりなりにも国民の代表である国会で審議して決める必要があるのではないか。そんなことを考えさせられた最高裁決定であった。

<追伸>
 私のもう一つのホームページに、「刑事訴訟法改正で刑事裁判がどう変わるか」を書きましたので、関心がある方はそちらもお読みいただければ幸いである。

【today's back music】
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Comments

トラックバックありがとうございました。
それだけでなく、私の意見とはいえない感想まで引用していただき、本当に恐縮しておりますm(_ _)m

私としては、おとり捜査は一定の要件の元で許容されることはやむを得ないのではないかという考えが前提にあります。その上で、おとり捜査が許容される要件を誰がどのように設定するのが望ましいのか・・・。

もちろん私も警察を信頼しているわけでは全然ありませんが(^^;)、最高裁の挙げた3つの条件(とは呼べませんが)は、それなりに理解できたわけです。
特に①、②に従った場合、クラッキングや痴漢などではおとり捜査は利用してはならないことになりそうです(おれおれ詐欺でも)。
立法機関がそこまで歯止めをかけてくれるかな?とというのが私の危惧するところです。もちろん国会がきちんと審議していい法律を作ってくれるのならそれが一番よいのでしょうが・・(^_^;)

「刑事訴訟法改正で刑事裁判がどう変わるか」は勉強させていただきます(^^)/


Posted by: toriatama | 2004.07.26 at 05:21 PM

toriatama さん

 コメントありがとうございました。

 確かに、薬物犯罪に限定するという要件は、おとり捜査が不必要に拡大しないためには必要だと思います。

 警察に対しても不信があり、立法機関である国会に対しても不信がある場合に、一体何を信じたらよいのかというのは悩ましいところです。

 ただ、警察活動に対しては私たちは何ら介入する余地がないのに対して、国会の立法に対しては、どれほど影響があるかは別として、反対運動をしたり、国会議員に働きかけるなど、まだ多少はやれることはあるように思います。

 その点で、私としては、法律で制定してもらう方が、まだマシではないかと思っているのですが、本当に難しい問題ですね。

Posted by: ビートニクス | 2004.07.27 at 03:34 AM

本題から少しずれますが、大麻は世界的に見ると解禁される方向にあります。日本政府は「ダメゼッタイ」に固執せずに、大麻を解禁する方がむしろ覚醒剤など有害な薬物の抑制につながるという柔軟な考え方に転換するべきだと思います。

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