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2004.07.27

警察庁長官銃撃事件の不起訴は当然か?

 1995年3月に起きた国松警察庁長官銃撃事件について、殺人未遂の疑いで逮捕されたオウム真理教元信者の警視庁元巡査長ら3人について、東京地検は、これまでの収集証拠では公判維持が極めて困難であるとして、勾留期限の7月28日に起訴せず、釈放する方針を固めたと伝えられている(産経新聞の記事)。

 事件発生から9年以上が経過して行われた逮捕劇に、「警察庁長官銃撃事件で今更逮捕」(辺境通信さん)などの厳しい評価もなされていた。
 また、参議院選挙対策ではないかとか、警察法施行50周年の式典(7月26日)までに捜査を終えたかったのではないかなどの憶測もなされていた。

 しかしながら、この事件については、事件後に、「私が撃った」と供述していた元巡査長が、その後、供述を変遷させていたために捜査は暗礁に乗り上げていた。
 その後、進展があったのは、最新の科学鑑定で、元巡査長のコートに、発砲時に付着したと思われる金属片が発見されたこと、元巡査長が自分のコートを元信者に似た男に貸したと供述したことだけであった。

 それにもかかわらず、警視庁は、事件の核心を知っている人物として、元幹部を、宗教学者宅爆破事件で別件逮捕して自白を取ろうとしたが、一貫して事件への関与を否認していたと言われている。
 また、元信者や幹部を次々と任意で事情聴取したが、事件への関与を全面否定したと伝えられている。
 その結果、東京地検は、公判を維持するだけの立証は困難と判断し、起訴しない方針を固めたと伝えられている。

 しかしながら、上述したとおり、元々、元巡査長の供述は曖昧で変遷を繰り返しており、到底、信用性がないと考えられるにもかかわらず、警視庁はその供述に依拠して事件の構造を組み立てようとしたのである。
 また、実行犯が特定していないにもかかわらず、関与した共犯者として元巡査長を含む3人を逮捕した。

 ここからうかがえるのは、警視庁は、最初から、無理を承知の上で、逮捕して自白を獲得すれば何とかなると考えて、逮捕に踏み切ったということである。そして、関係者が全て否認したことにより、自白を獲得できず、振り出しに戻ったということである。

 つまり、初めから、自白の獲得を目的として今回の逮捕が行われたということであり、自白がなくても立件できるだけの客観的な捜査は何ら遂げられていなかったということである。
 そうなると、そもそも、逮捕したこと自体が違法ではなかったのではないかとの疑問も出てくる。

 日刊ゲンダイ7月27日付(26日発行)3面は、「4人釈放になれば、公安一課長、公安部長はもちろん、トップの警視総監の責任問題になるのは必至だ。さらに、今回の逮捕には最高検、警察庁もゴーサインを出していたから激震である。」と報じている。
 警察庁長官銃撃事件という国民を震撼させた事件について、警視庁が満を持して逮捕した者を起訴できずに釈放するということになったら、確かに一大事である。
 これは、警視庁公安部の大失態であり、最初から客観的な証拠もないのに、自白を獲得することだけを目的にして逮捕する公安警察の捜査のあり方に対しても、根本的な疑問を投げかけるものであると言わなければならない。

【today's back music】
 paris match/♭5(VICL-69112)
  ミズノマリ、古澤大、杉山洋介の3人で結成されたparis matchの新譜ですが、ボーカルと演奏が、大変に心地よくて何回聴いても飽きません。

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「刑事裁判」カテゴリの記事

Comments

自白のみで起訴出来ると思って取り組んだけどダメだった、ということで一応手続きが機能したと考えるのもアリでしょう。

では、他にどんな例があるか?というと
今韓国で大騒ぎになっている21人殺しの犯人ですが、無罪放免の可能性が無きにしもあらずだそうです。
これは、韓国では(物理的な)証拠が無いと事件にならないのだそうで、日本のように死体無き殺人事件なんてのは無いということですね。

わたしは個人的に非常に気に入っている(?)話しに、江戸時代の話で当時は科学的な証拠能力が弱かったので、こんな話しになったとのことですが、
「どう見ても(客観的には)犯人に間違えないのだけど、ガンとして白状しないから仕方なく無罪放免にした」
という話があるそうです。

では、客観的な事象があれば確実に刑が決まるか?というとこんな例もあります。
アメリカで誘拐が多かった50年代の話しのようですが、誘拐の定義を非常に厳しくして同時に刑罰を死刑中心にしたら「車に乗せたら死刑判決」というのがあったそうです。

というわけで、なかなか一元的に決めがたいですね。
しかし、国松長官襲撃事件なんてものが一向に解決出来ないとは、ちょっと情けない。

Posted by: 酔うぞ | 2004.07.28 at 02:08 PM

酔うぞ さん

 コメントありがとうございました。

 起訴されなくて良かったという見方もありえますが、今回の場合、最初から客観的証拠がほとんどなく、自白を獲得することだけを狙った逮捕であることが明らかであったことから、そのような「見込み捜査」「予断をもった捜査」が批判されているのだと思います。

 それから、今回の件は、警視庁の中の刑事部と公安部の対立という問題とも絡んでおり、公安部が「危険なかけ」に出たが案の定失敗したという側面もあるようです。報道でも、刑事部に所属する幹部が公安部の批判を行っているコメントが紹介されていたりします。

 警察庁長官狙撃事件について、こういう内部分裂・内部抗争している場合ではないと思うのですが、こういうセクショナリズムが今回の大失態の原因だと思いますね。

Posted by: ビートニクス | 2004.07.29 at 10:30 AM

>警視庁の中の刑事部と公安部の対立という問題とも絡んでおり、
>公安部が「危険なかけ」に出たが案の定失敗したという側面もあるようです。
>報道でも、刑事部に所属する幹部が公安部の批判を行っているコメントが紹介されていたりします。

これはわたしも驚いた。
あれだけコッテリと報道(ワイドショーにも)されたのだから、刑事の方が「それ見たことか」と思い切りやったのでしょう。
そこらの縄張り争いがもともとの捜査の遅れだったという指摘を当事者である警察はどう見るんでしょう。

堺屋太一が何かの講演でしゃべってますが、西部劇では庶民が法に基づいて戦うのが多い。
一方水戸黄門は中央省庁の役人がいきなり地方政治に首を突っ込んで、しかも法的根拠無く「印籠である」と超法規的に問題を解決する。
これが日本とアメリカの法律に取り組む社会の姿勢だ。
という話で妙に納得しました。

UFJと住友信託の仮処分も同じようなもので、無理が通れば道理が引っ込む、という超法規的だから契約なんてあってもムダよ、ということをやったから仮処分になってしまったわけで、結果良ければ何でもありというのはやめにして欲しいです。

Posted by: 酔うぞ | 2004.07.29 at 02:18 PM

酔うぞ さん

 コメントありがとうございました。お返事が遅くなりました。
 堺屋太一さんの話は、なかなか言い得て妙ですね。確かに、日本では、まだまだ、法律や契約が市民の行動基準になっていないことは確かですね。

 日本では、とりわけ、法律を守るべき警察や官僚や政治家たちが「超法規的」に活動している点に大きな問題があるのでしょうね。

 UFJ銀行に対する東京三菱銀行との交渉禁止仮処分は、なかなか思い切った判断ではありましたが(担当裁判官は週刊文春差止仮処分を認めたのと同じ裁判官でした)、やはり、UFJ銀行と住友信託銀行との契約において独占的な交渉権を認めている以上、その契約が守られるべきは当然であり、極めてまっとうな「法律判断」であったとは思います。

Posted by: ビートニクス | 2004.08.01 at 01:49 AM

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