2009年8月 4日 (火)

【映画】「接吻」

映画「接吻
監督 万田邦敏
音楽 長嶌寛幸
脚本 万田珠実 、万田邦敏
キャスト 小池栄子、豊川悦司、仲村トオルほか
製作年度 2006年
上映時間 108分

 少し古い作品だが、最近DVDを購入して観た。

 坂口(豊川悦司)は、特に動機もなく、ある一家の親子3人を惨殺し、その後、自分がその事件の犯人であると自ら名乗りを上げて警察とテレビ局に通報し、テレビ局が生中継する中で、自分自身の逮捕シーンを放映させる。そのニュースを見ていたOLの京子(小池栄子)は、坂口がカメラに向かってほほ笑んだのを目の当たりにした瞬間に、自分たちは同類だと直感し、それまで孤独と絶望の中で生きてきた京子は仕事も辞め、新聞を買い集めて、坂口の事件について調べ始める。
 坂口の刑事裁判が始まっても、坂口は一切黙秘を続け、事件の動機や反省を一切口にしない。
 京子は、毎回、坂口の刑事裁判の傍聴に行き、坂口の弁護人長谷川(仲村トオル)と接触して、差入れをしたいので紹介して欲しいと伝え、やがて、坂口と面会するようになる。やがて、坂口は控訴しないで死刑判決を受け入れると考えていた京子は、今後も面会するため自分と結婚することを求めて婚姻届を提出し、マスコミから取材に追われるようになる。
 ところが、控訴しないと考えていた坂口が控訴したことから、京子は、坂口を責めるようになる。ある日、面会の時に、坂口から、「自分が死刑になっても、お前は死なないで生きて欲しい」と言われる。
 その後、京子は、遮蔽板のない部屋での面会を望み、弁護人から申し入れて、拘置所長のはからいでその面会が実現するが、そこで事件が起こるというストーリー。

 この作品は、映画『UNloved』の万田邦敏監督が、殺人犯に共鳴し、心に惹かれていく女性の究極の愛を描いた作品だとされる。
 確かに、究極の愛情と狂気の両方を、主演の小池栄子はよく表現している。

 京子が、孤独で絶望感の中で生きていることが冒頭で描かれ、テレビで逮捕される際にカメラに向かってほほえんだ坂口と自分を重ね、「同志」であるように感じ、坂口と2人で社会と戦おうとしていく様子から、何となく理解できない訳ではない部分もある。しかし、映画の結末も含めて、終了後に残る違和感のようなものを感じた。

 ただ、狂気と愛情が紙一重のものであり、ちょっとしたきっかけから、愛情が狂気に向かうことはあるのだろうなということは何となく理解できたように思う。

 この作品は、最近の動機のない凶悪犯罪をテーマにしており、法廷シーンや拘置所での面会シーンが多く、裁判員制度が始まった現在、この作品を観ることも意味があるように思われる。

<参考になる映画評>
 前田有一の超映画批評
 映画『接吻-Seppun』を観て(KINTYRE’S DIARY)
 ミチの雑記帳

 

 

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【映画】「ボルト」

映画「ボルト
原題 BOLT
監督 バイロン・ハワード 、クリス・ウィリアムズ[アニメ]
製作総指揮 ジョン・ラセター
音楽 ジョン・パウエル
脚本 ダン・フォーゲルマン 、クリス・ウィリアムズ[アニメ]
キャスト(声) ジョン・トラヴォルタほか
上映時間: 96分
製作年度: 2008年

 この「ボルト」は、ピクサーのエド・キャットマル社長とジョン・ラセター監督が、企画開発から携わった最初のディズニー作品であるという。アニメーションの映像美には感動した。
 ちなみに、この映画は3Dでも上映されているが、私は普通の字幕版を見た。

 アメリカで人気のテレビショーに出演中のスター犬のボルト(声:ジョン・トラヴォルタ)が、ある日、スタジオの外に出て迷子になり、共演している少女ペニーが悪者にさらわれたと誤解して、その少女を捜し求めながら旅をする中で、自分がテレビショーの中で発揮する数々のスーパーパワーを持った特殊な犬ではなく、ごく普通の犬であるという現実を知るが、それでも、共演していた少女は自分のことを待ってくれていると信じて旅を続け、少女と再会するというストーリー。

 一種のロード・ムービーであるが、その途中で、黒猫のミトンズと不思議なハムスターのライノと出会いがあり、その友情も描いている。

 テレビショーを皮肉っぽく批判しながら、架空の世界の中だけで生きていたボルトが、現実社会を知るとともに、自分が何のために生きているのかを知っていくという心の成長を動物を通して描いているという点で非常に示唆的であり、教訓的である。

 ジム・キャリー主演の「トゥルーマン・ショー」(1998年)との共通性も指摘されている。私はまだ見ていないが、犬を通して、そのテーマを取り上げた点も大変に興味深い。

 大人が見ても十分に楽しめる作品になっていると言えるだろう。

 なお、本作には、「カーズ」の番外編ともいうべきショートムービーの「メーターの東京レース」が併映されるが、こちらも、香港かと見間違うような不思議なTOKYOを舞台にしており、なかなかよくできていた。

<参考になる映画評>
 前田有一の超映画批評
 Love Cinemas 調布
 カノンな日々
 masalaの辛口映画館


 

 
 

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2009年7月25日 (土)

【書籍】大門剛明「雪冤」

大門剛明「雪 冤
発売日 2009年 05月 28日
定価(税込) 1575円
ISBN 978-4-04-873959-7-C0093   
発行元 角川書店

 第29回横溝正史ミステリ大賞とテレビ東京賞をW受賞したミステリー小説。「雪冤」とは、無実の罪であることを明らかにするという意味で、本書では、2人の男女を殺した罪で死刑判決を受けた青年の父親(元弁護士)が、息子の冤罪を晴らそうと奔走する中で、メロスと名乗る謎の人物から公訴時効寸前に自分が真犯人であり、自首をしたいとの連絡が入ってから大きくストーリーが展開する。

 全編にわたって、太宰治の「走れメロス」の登場人物になぞられて、「真犯人」を名乗る人物が果たして誰なのかが追及される。

 本作では、死刑制度と冤罪の関係について、一貫して読者に対して問いかける内容となっている。
 結局、真犯人は自首しなかったため、死刑が執行された後、死刑廃止論を唱える主人公の父親は、冤罪によって国家に息子を殺された被害者の立場に置かれる。

 京都を舞台に、登場人物の多くが関西弁を使いながら、圧倒的な迫力で最後まで読まされた。そして、非常に映像的な小説であり、リアリティを感じさせられた。

 私自身も、死刑廃止論者であるが、本書は、現在、むしろ国民の多数が死刑存置論者である現状の前で、机上の議論ではなく、冤罪によって国家が国民を死刑に処してしまう恐れがあることを、国民一人一人が、改めて死刑制度を直視することの大切さを訴えているように感じた。

 裁判員制度も始まり、死刑求刑事件であっても、市民である裁判員はそれを担当し、死刑か無期かを決める立場に置かれる。死刑を選択し、その被告人が死刑を執行された時、裁判員だった市民はどういう気持ちになるだろうか。そして、それが後になって、冤罪であり、間違っていたことが判明した場合はどうだろうか。

 裁判員制度は、裁判員に選ばれる可能性のある市民に対して、常にそのような立場に置かれるかもしれない制度として存在しているのである。

 本書は、裁判員制度と死刑制度に関心のある多くの方に是非読んでもらいたいと思った。

 

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【映画】「湖のほとりで」

映画「湖のほとりで
原題 LA RAGAZZA DEL LAGO/THE GIRL BY THE LAKE
監督 アンドレア・モライヨーリ
原作 カリン・フォッスム
音楽 テオ・テアルド
脚本 サンドロ・ペトラリア
キャスト トニ・セルヴィッロ、ヴァレリア・ゴリノほか
製作国・地域 イタリア   上映時間: 95分
製作年度 2007年

 北イタリアの小さな村にある湖のほとりで、美しい少女アンナの死体が発見され、村に越してきたばかりの刑事サンツィオ(トニー・セルヴィッロ)は、犯人を捜そうと、村人たちに話を聞いていくうちに、アンナと交際していた若い男性を逮捕するが否認を続ける。その後も捜査を続けるうちに、村人たちが抱える様々な事情を知るようになり、最後には本当の犯人に行き当たるというストーリー。

 いくつかの映画評で、この作品を高く評価していたことから、この作品を見たが、正直言って、少々分かりにくい展開だと思った。劇場用パンフレットを読んで、ようやく詳細を理解できたが、感動させられる作品とは言い難いように思った。

 基本的にはミステリーであるが、描かれるのは、ミステリーの形式を使った人間ドラマであり、それが緩いテンポで描かれている。

 人は誰もが、様々な困難を抱えて生きているが、それを身近な人にも伝えられずに生きているということが全編を通して描かれている。主人公とも言うべき刑事も、妻が認知症となって徐々に自分のことを忘れて行っているという状況で、そのことを伝えられないために、娘との関係がうまくいかない状況にあり、私生活上も悩んでいる様子が描かれる。

 都会とは離れた片田舎においても、人が抱える悩みや苦しみがあることを描かれ、それが、アンナの人生が明らかになる中で、徐々に、人々を癒していく。それは主人公の刑事の心をも癒したことがラストシーンで示されている。

<参考になる映画評>
 Love Cinamas 調布
 佐藤秀の徒然幻視録

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【映画】「アマルフィ 女神の報酬」

映画「アマルフィ 女神の報酬
監督 西谷弘
原作 真保裕一
音楽 菅野祐悟
キャスト 織田裕二、天海祐希、戸田恵梨香、佐藤浩市ほか
製作年度 2009年
上映時間 125分

 フジテレビ開局50周年記念として、織田裕二主演で、オール・イタリア・ロケで作られた作品。「お祭り」として気楽に見るのが正解だろう。

 娘と2人連れでイタリアに来た矢上紗江子(天海祐希)は娘を誘拐される。ちょうど、G8の外相会議が開かれることから、イタリアの日本大使館に派遣されてきた外交官・黒田(織田裕二)はその誘拐事件の捜査に関わるようになるが、やがてそれは単なる誘拐事件ではなく、真の目的は、G8の外相会議に対するある人物に対するテロに繋がっていた・・・というストーリー。

 全編、イタリアロケということもあり、イタリアの町並みやきれいな海を見て、海外旅行でもしている気分になれることは確かである。

 この映画に対しては厳しい批判もあるが、誘拐事件からテロへの繋がるストーリー展開については、それなりに楽しむことができた。あちこちに設置された防犯カメラや、GPSやセキュリティシステムが重要なアイテムとして使われている点も興味深かった。

 在外公館の中の「お役所主義」「事なかれ主義」もさりげなく描かれている点も面白かったし、日本による海外援助に対する批判的な取り上げ方もユニークだった。

 実年齢としても大人になった織田裕二が、言葉少なく、「外交官」としてのプロフェッションに徹した渋い演技をしているのも好感が持てた。

 この映画の終盤近くでは、銃撃戦になるかと思わせて、一切、銃撃がないまま、織田裕二もただ言葉での説得だけで解決させるシーンがある。拍子抜けとも言えるが、「外交官」としての仕事のあり方を示そうとしたのだろう。

 映画のエンドロールには、昨年の年末から年明けのイタリア市民が新年を喜び合うシーンが映し出されるが、それまでの映画の調子とは異なって、開放感があり、イタリア市民の幸せそうな様子が映し出されており、この映画の終わり方としてはこれで良かったと思った。

<参考になる映画評>
 Love Cinemas 調布
 佐藤秀の徒然幻視録
 Lovely Cinema

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【書籍】副島隆彦・植草一秀「売国者たちの末路」

副島隆彦・植草一秀「売国者たちの末路

出版社 祥伝社
ISBNコード 9784396613341
判型/頁  四六判ハード/256頁
定価 1,680円(税込)
発売日 2009/06/22

 評論家である副島氏と経済学者である植草氏の対談本である。

 7月21日に衆議院が解散され、8月30日に衆議院選挙が行われる予定である。前回の解散は、小泉首相(当時)による郵政解散があり、自民党は圧勝して、与党で衆議院の3分の2の議席を獲得し、以後、参議院で野党が多数を占めた後も、参議院で否決された法案を、再議決によって次々と可決してきた。

 その郵政選挙の争点は、「郵政民営化」の是非であった。私は当時から、「郵政民営化」には反対だった。しかし、国民は、小泉首相(当時)の「改革」路線に騙されて、自民党を圧勝させてしまった。

 しかし、最近になって、「郵政民営化」、そして、小泉首相(当時)と竹中平蔵氏による「構造改革」路線によって、徹底的な経済の自由主義化(弱肉強食化)が推進されてきた結果、それまで日本は「1億総中流」と言われていたが、それが完全に崩壊し、「格差社会」が生まれた。
 これらは、言うまでもなく、小泉・竹中が行ってきた「構造改革」路線の結末である。

 本書は、その小泉・竹中による「構造改革」が、アメリカの影響下で行われてきたことや、その誤りを鋭く指摘するとともに、アメリカにおけるサブプライム・ローン破綻後の状況を踏まえて、今後の世界経済がどうなるかについて論じている。

 この中で語られる日本の財務省のあり方については、前に紹介した長谷川幸洋『日本国の正体』(講談社)で語られていた内容とほぼ同様であり、そこでも紹介されていた高橋洋一氏の窃盗罪での検挙についても触れられている。

 本書では、経済学者であり、小泉・竹中路線を批判し続けた植草氏が、2度も「痴漢」とされる「冤罪」被害を受けた経過についても詳しく述べられ、それが何らかの政治的背景に基づく「デッチ上げ」であることも語られている(2度目の「冤罪」事件について、2009年6月25日に最高裁が上告を棄却して、植草氏は、近日中に収監される見込みである)

 最近になって、国民も、ようやく小泉・竹中路線が、今の日本を経済をおかしくしたことに気づき始めているが、本書は、改めて、小泉・竹中路線が何を行ってきたのか、それがアメリカとどういう関係にあるのか、民主党の小沢氏の秘書がどうして検挙されたのか、などについて分かりやすく語りかけており、一気に読めるものとなっており、多くの国民が、是非とも読むべき1冊だと思う。

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2009年7月13日 (月)

【映画】「サンシャイン・クリーニング」

映画「サンシャイン・クリーニング
原題 SUNSHINE CLEANING
監督 クリスティン・ジェフズ
脚本 ミーガン・ホリー
キャスト エイミー・アダムス、エミリー・ブラントなど
上映時間 92分
製作年度 2008年

 シングルマザーのローズ(エイミー・アダムス)は、ハウスキーパーの仕事をしながら、未婚の子であるオスカー(ジェイソン・スペヴァック)を育てており、彼女の妹(エミリー・ブラント)はアルバイト生活をしながら、父親と2人で暮らしている。息子が小学校を退学になったのをきっかけに、2人の姉妹が、事件現場や自殺現場のクリーニングの仕事を「サンシャイン・クリーニング」という屋号で始める。
 この「特殊清掃業」という仕事も、初めて知って興味深かった。

 この作品は、格差社会の中で、不器用なためにうまく生きられない家族が、少しずつ再生していく様子を描いている。

 主人公の姉は、常に自分が置かれた厳しい状況の中で、自分で自分を叱咤激励して生きている。妹は、何をやっても長続きしないちゃらんぽらんの性格がなかなか抜けきらない。
 そういう姉妹が、普通ではない状況の犯行現場や自殺現場の清掃の仕事をしながら、特に、妹の方が大きく変わっていく。姉妹とも、母親が自殺したことをトラウマとして持っていたが、仕事をする中で、母親の死と向き合うことができるようになっていく。

 この映画では、こういう暗くて息苦しくなりそうなストーリーを、アメリカのまだ自然が残るのどかな田舎町(ニューメキシコ州のアルバキーカで撮影された)を舞台として、何となくユーモラスに描いている。

 姉妹や家族は、姉の子供の誕生日祝いを契機として、相互を理解しあって和解し、そして新しい出発をしていく。

 この映画も、「レスラー」と同じように、最初はアメリカの4館の上映から始まったのが全米トップ10に入る興収をあげるまでになったという。これは、格差社会の中での家族の再生というテーマが、本物を欲しがるアメリカ市民に受け入れられたためだろう。

 重いテーマだが、見終わった後に爽快感がある、そういう作品である。

<参考になる映画評>
 佐藤秀の徒然幻視録
 LOVE Cinemas 調布

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2009年7月 7日 (火)

【書籍】長谷川幸洋「日本国の正体」

長谷川幸洋「日本国の正体

発行年月 2009年06月
発売元 講談社
ISBN 9784062950503

 中日新聞社の現論説委員が、これまで政府関係の審議会などに委員として出席したり、経済記者として取材をした経験から、日本を本当に動かしているのは政治家ではなく、官僚であり、重要な政策や法案は、全て官僚たちが自ら決定して、それを与党の政治家によって実現しているに過ぎないという「官僚内閣制」とでも言うべき実態を赤裸々に描いている。

 「三権分立」の建前から、メディアで働いている記者ですら、政策決定は政治家で行っていると誤解しているが、実際には、全て、官僚が決めており、政治家はその政策や法案を実現しているだけであると断言している。

 この本で、筆者は、経済政策を例にして、財務省が、いずれ増税を実現するという立場に立って、それに反対する動きをことごとく潰してきたと考えられることを指摘しているが(中川・前財務大臣の辞任問題、高橋洋一氏の逮捕)、非常に説得力がある。

 また、官僚たちは、入省時には誰でも理想を持っているが、やがて先輩の天下り先を確保することに汲々とするようになるという官僚体制の限界を明らかにしている。

 この本を読んで、まさに目から鱗が落ちる位、インパクトがあった。以前から、漠然として、日本は官僚が膨大な力や利権を持っているとは思っていたが、政策決定や法案作成のほとんどを官僚だけで決定し作成しているとの指摘は衝撃的ですらある。

 これを読むと、これは経済政策に限る話ではなく、刑事政策などの面でも、全く同様に、官僚が全て政策決定や法案の作成をしていると考えられるのであって、「議員内閣制」は完全に形骸化しており、国会が「国権の最高機関」であるということも形骸化していると言える。

 最近では、国会の審議が、形式化・セレモニー化しており、官僚が作成した法案に「お墨付き」を与えるだけの機関に成り下がっている。それは、参議院で野党が多数を占めて、いわゆる「ねじれ国会」になっても、本質的には変わっていない。

 これが、今度の衆議院選挙によって、仮に民主党が政権をとったとしても、官僚主義に根本的なメスを入れた改革をしないと、現在と大きく構造は変わらない恐れがある。

 その意味で、一体、今の日本の政策を決定しているのが誰なのか、国民の選挙を経た訳でもない官僚が、「国権の最高機関」を差し置いて政策決定していることは、三権分立に反するだけでなく、民主主義にも相容れないと言わなければならない。

 筆者は、「記者クラブ」が、この官僚による政策決定をそのまま報道してくれる「補完勢力」になっているとも批判している。記者クラブについては兼ねてから批判が多いが、マスコミ自身のあり方も大きく変える必要がある。

 本書は、改めて、表舞台から見えにくい官僚たちが、今の日本を動かしていることを白日の下に晒した書であり(同じ筆者には、まだ読んでいないが、『官僚との死闘700日間』講談社がある)、私たち市民にとって必読だと思う。

 日本に根付き、今の日本を左右する大きな存在となった官僚制度について、根本的な改革が求められている。

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【映画】「愛を読むひと」

映画「愛を読むひと
原題 THE READER
監督 スティーヴン・ダルドリー
製作総指揮 ボブ・ワインスタイン、ハーヴェイ・ワインスタイン
原作 ベルンハルト・シュリンク
脚本 デヴィッド・ヘア
キャスト ケイト・ウィンスレット、レイフ・ファインズ、デヴィッド・クロスほか
製作国 アメリカ/ドイツ
上映時間 124分
製作年度 2008年

 本作は、ドイツのベルンハルト・シュリンクの「朗読者」の映画化である。

 1958年のドイツが前半の舞台であり、15歳のマイケル(デビッド・クロス)は、21歳年上のハンナ(ケイト・ウィンスレット)と恋に落ち、やがて、ハンナはマイケルに本の朗読を頼むようになった。ある日、ハンナは突然マイケルの前から姿を消したが、数年後、法学専攻の大学生になったマイケルは、ナチス戦犯を裁く法廷の被告席にいるハンナを見つけ、彼女の法廷を傍聴し続ける。

 ナチスの親衛隊として、収容所の看守をしていたというハンナは、他の看守たちの口裏合わせから、自分が全てを知る立場にあったと認定されて無期刑を言い渡される。
 マイケルは、裁判の途中で、ハンナが文盲であったことに気づき、それが法廷で明らかになれば、ハンナにとっては刑を軽くするのに役立つと考えるが、ハンナがそれを秘密にしていることから、マイケルはそれを言えないままだった。マイケルは、一度、刑務所に面会に行ってそれを助言しようとするが、勇気を出せずに、面会しないまま帰ってきてしまう。

 その後、マイケル(レイフ・ファインズ)は、以前、彼女に朗読した本を朗読して、録音テープを刑務所に差し入れるようになる。ハンナは、刑務所の中の図書館でその本を借りてきて、朗読を聞きながら、言葉を少しずつ勉強するようになり、手紙を書いてマイケルに送ってくるようになる。
 入所して20年後、ハンナに仮釈放が認められるようになり、マイケルは、彼女が住む部屋を借りて受け入れようとする。しかし、出所する日、ハンナは自ら命を絶ってしまうというストーリー。

 ナチス・ドイツにおける戦争下という異常な状況下で、単なる下っぱの看守で、文盲でもあったハンナを裁く法廷シーンについては、色々と考えさせられる。本当に悪いのはそのずっと上司であるはずなのに、下っぱの者が厳しく処罰されることの矛盾や不条理を痛感させられる。そこでは、「正義」とは何かということが常に問い返される。

 マイケルは、15歳の時に出会って恋愛したハンナのことが忘れられず、弁護士になって、結婚もするが、その後離婚して、一人で生活し、他人との人間関係の構築が苦手な生き方をしている。そのマイケルが、本を朗読してテープに録音して、刑務所にいるハンナに送り続ける行為は、無償の愛を体現するようで心を打つ。
 そして、仮釈放されて出所するハンナを待ち続けていたのに、結局、ハンナは自ら命を絶ってしまい、永久の別れをすることになってしまう。

 本作は、ユダヤ人を虐殺したドイツ人の責任のとり方に対する一つの問題提起をするものだと考えられる。

 私は数年前に、アウシュビッツ収容所跡を見学した。大量のユダヤ人を虐殺したことは、決して現場の下っ端がやっていたことではなく、国家的なレベルで上からの指示に基づいてなされていたにもかかわらず、上の方の幹部は証拠を隠滅して責任から逃れようとしたと言われている。
 アウシュビッツ収容所跡を見ると、極限状態に置かれた人間が、一体どこまで残酷になれるのか、ということをまざまざと思い知らされる。ドイツと同盟関係にあった日本にもその責任が全くないとは言えないはずであり、日本人であれば、是非、アウシュビッツ収容所跡を見る義務があると思う(唯一の日本人ガイドの中谷剛「アウシュヴィッツ博物館案内」凱風社はお勧めである)
 ちなみに、本作でも、大学生のマイケルが、アウシュビッツ収容所跡を見に行っていると思われるシーンが登場する。

 原作にはないようだが、映画の最後に、マイケルが、自分の一人娘を誘って、ハンナの墓の前に行き、自分とハンナとの関係について語り始めるシーンがある。 歴史が語り継がれることによって次の時代が作られること、そして同じ過ちを犯さないことが重要であることを示唆しているようである。

 本作は、見終わった後に、深く考えさせられる映画である。

<同感であると考える映画評>
 佐藤秀の徒然幻視録「愛を読むひと

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【映画】「重力ピエロ」

映画「重力ピエロ
監督 森 淳一
原作 伊坂幸太郎
脚本 相沢友子
キャスト 加瀬亮、岡田将生、小日向文世、鈴木京香ほか
上映時間 119分
製作年度 2009年

 最近、私は伊坂幸太郎にハマっており、次々と伊坂さんの作品を読んでいる。伊坂作品の中でも評判が良い「重力ピエロ」の映画化である。但し、時間の関係などから、少し原作と筋が変わっている部分もあるが、原作のテイストは大変に忠実に出されている。

 主人公である奥野泉水(加瀬亮)の弟の奥野春(岡田将生)は、母親(鈴木京香)がレイプされて生まれ、血のつながりはない。父親(小日向文世)は、レイプされて妊娠したことを知った時、自分の子供として育てることを決意して仲の良い家族が築かれた。しかし、母親は自殺と考えられる事故で死んでしまう、

 舞台となる仙台で、次から次から放火事件が起こるが、弟の春は、放火現場の近くには、必ず落書き(グラフィティアート)があることに気づき、主人公は、そこに書かれた文字がDNAの塩基配列と関係があることを突き止める。

 他方で、主人公は、かつてのレイプ犯が仙台に戻ってきているとの情報を得て、春の髪とその男性の唾液をDNA検査をして父子関係を確認し、復讐しようと計画していた。しかし、それよりも前に、弟がその男性を呼び出して復讐するというストーリー。

 放火犯は誰なのかというミステリーを中心軸としながら、主人公と弟との関係、父親を交えた家族の関係について描かれている。

 レイプされて生まれた子供を自分の子供として愛し続け、一人前に育て上げた父親と母親の愛情の深さや懐の広さが心を打つ。そして、家族というのは、血の繋がりがなくても、愛情があれば十分に成立するのではないか、ということを考えさせられた。

 本作は、伊坂作品ではお馴染みの仙台が舞台となっており、その仙台の風景の中で、家族の物語が紡がれていく。原作を読んだ上で、本作を見ることをお勧めしたい。

<参考になる映画評>
 LOVE Cinemas 調布

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