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2009年2月 3日 (火)

【雑誌】特集「市民と法律家で考える裁判員制度」(法と民主主義2009年1月号)

特集「市民と法律家で考える裁判員制度」(法と民主主義2009年1月号)

雑誌 法と民主主義2009年1月号(第435号)
発行 日本民主法律家協会
発行責任者 澤藤統一郎
発行日 2009年1月5日
定 価 1000円

 私は、日本民主法律家協会に所属しているわけではないので、特集の内容を見て、年に何回か、この雑誌を買って読んでいる。
 今号の特集は、2009年5月21日に施行される裁判員制度について、実に様々な立場や角度から多角的に考える記事で構成されている。
 大きく3部構成となっており、市民代表と法律家との対談、2008年11月27日に実施された法律家3団体共同シンポジウム「市民と法律家で考える裁判員制度」での発言内容、裁判員制度に対して寄せられた市民の意見からなっている。

◆特集にあたって……編集委員会
◆対談・「裁判員制度」を日本の刑事裁判を良くする方向に……周防正行・五十嵐二葉
◆冤罪・誤判の防止と裁判員制度実施への課題……今村 核
◆それでも、「裁判員制度」の鍵を握るのは市民……伊藤和子
◆今 何を考え 何をなすべきか……小田中聰樹
◆裁判員・刑事司法制度に立ち向かう国民救援会の立場……本藤 修
◆市民から見た裁判員制度──司法権行使の手段としての裁判員制度……上口達夫
◆被害者参加制度と裁判員制度……片山徒有
◆コリンP.A.ジョーンズ著・『アメリカ人弁護士が見た裁判員制度』を読む……齊藤園生

 まず、何と言っても、最初の対談がスリリングで面白い。映画「それでもボクはやってない」の監督である周防氏と、五十嵐二葉弁護士の対談は、現在の日本の刑事裁判のあり方のおかしさを次々に明らかに、それらをそのままにした上で、今、何故、裁判員制度なのかを問いかけるものとなっている。周防監督は、多くの刑事裁判を実際に傍聴した経験から、弁護士にとっても耳の痛い批判をしている(弁護士は「なぜこんなにしゃべれない人が多いのだろう」とか、「なぜそんなに裁判官にへこへこしなければいけないのか」など)。
 この対談から、いかに日本の刑事裁判が異常であり、それを許容しているマスコミや日本の社会がおかしいかが伝わってくる。
 そして、この対談では、今回の裁判員制度は、決して冤罪をなくすためではなく、権力の側のために導入されたものであることを厳しく批判している。二人のどの発言も、多くの市民の人たちに是非読んで貰いたい内容であふれている。

 今村核弁護士(「冤罪弁護士 旬報社、2008年がある)と伊藤和子弁護士(「誤判を生まない裁判員制度への課題現代人文社、2006年がある)の論考は、弁護士の立場から見た公判前整理手続や裁判員裁判の問題点を、かなり個別具体的に展開している。

 特に、伊藤和子弁護士は、アメリカの陪審制度との比較の中から、超短期審理の問題や、証拠開示の不十分さなどを指摘しており、非常に説得的である。

 刑事法学者である小田中聰樹・東北大名誉教授(「裁判員制度を批判する花伝社、2008年など多数がある)は、司法改革が、戦後民主的司法に対するアンチテーゼであり、司法を国民統治の手段性の強い制度に組み替えようとする動きであると喝破した上で、裁判員制度が民主主義や当事者主義に反するものであると批判し、廃止する追い込むしかないと力強く論じている。

 これ以降の論考では、市民の立場からみた裁判員制度に対する批判や期待などが述べられ、最後は、コリン・P・ジョーンズ弁護士による「アメリカ人弁護士が見た裁判員制度」(平凡社新書、2008年)についての齋藤園生弁護士による書評で締められている。

 この特集は、全体的には、裁判員制度に批判的な立場からの意見で占められているが、立場によって、その論じ方や意見は実に様々であることを教えてくれる。それは議論が自由であることを示しているとも言えるが、裁判員制度への反対論の論調が一致しないために、有効な反対になりえていないという面も示しているかもしれない。

 2009年2月1日放送のフジテレビ「サキヨミ」は、先日、東京地裁で審理が行われた江東区OLバラバラ殺人事件をとりあげて、検察による裁判員制度を意識した多数の骨をモニターに映し出したり、被告人に死体をバラバラにした経緯について供述させたことや、被害者遺族の証人尋問の際に、被害者の生前の写真をモニターに次々と映しながら証言させたことを取り上げ、アメリカの陪審制度の下ではどのように扱われているかを取り上げた(弁護士 落合洋司(東京弁護士会)の 「日々是好日」で取り上げられている)。

 その番組では、アメリカは、長い陪審制度の歴史があることから、法廷で提示できる証拠について、アメリカの連邦証拠規則において、陪審員に不当な偏見を与えないための詳細なルールが定められているのに、日本ではそのようなルールがないという指摘がなされていた。

 日本の裁判員制度では、アメリカの陪審制度と異なって、裁判官が3名入っていることから、そのようなルールがなくても、裁判官が適切にコントロールするだろうという期待から、特別なルールが新たに作らなかったと考えられますが、日本の裁判官は、えてして「できるだけ多くの証拠を見たい」という性向を持っていますから、裁判官のコントロールにはあまり期待できないと考えられ、この点においても裁判員制度には欠陥があるのではないかと感じた。

 特に、今回の江東区OLバラバラ殺人事件で、検察官による被害者の母親に対する証人尋問の際に、その最後に、マンションのゴミ捨て場の写真と、ゴミが堆積された「夢の島」のような写真をモニターに映して尋問した点については、証拠上、ゴミ捨て場に遺体を捨てた証拠もないのに行われたもので、明らかに誤導的な尋問として制限されるべきだったと思うが、そのような尋問が誰からも制止されることなく行われたということは衝撃的であった(弁護人は異議を述べなかったのだろうか)。

 「サキヨミ」では、アメリカでも、被害者遺族が、被害者の生前をしのぶビデオを作成し、それに被害者が好きだったというエンヤの音楽を付けたものを陪審員に上映したことが最高裁まで争われたが合憲の判断を受けたということが報じられていたが(最高検察庁検事は、映像に音楽を付けることについては否定的なコメントをしていたことは辛うじて救いがあると言える)、これなども、今後、日本の裁判員裁判において、被害者遺族に対する証人尋問や、被害者参加人の意見陳述の際にも利用されるようになる可能性がある。

 2009年5月21日から施行される裁判員制度については、あまりにも、まだまだ議論が尽くされていない点が多すぎるように思われる。法と民主主義の今回の特集は、そのための議論の素材を私たちに提供してくれていると思う。

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